2008年3月28日金曜日

カドケシとメンガー

鉛筆を使う習慣を廃して久しいが,時々(何ヶ月かに一度くらい)は必要になる.鉛筆は大抵そこら辺に転がっていても,問題は消しゴム.机の隅から出てくるのは,ちびて丸くなったもので,小さな箇所を消すには向いてない.

角をたくさん持たせれば便利!というのが,コクヨのカドケシのアイディアです.
これを見るたびに,メンガーのスポンジ(リンクはwikipedia)を思い出さずにはいられない.

だからなんだと言われたらそれまでですが.

2008年3月26日水曜日

Lemniscata geometrice in quinque partes dividitur(続)

Lemniscateのコンパスと定規による5等分については,Gaussは仄めかしたのみで公刊することはなく,AbelとJacobiが独立して再発見したということは前回書いたとおり.

Abelの定理「自然数nが,2冪×相異なるFermat素数の形なら,Lemniscateをコンパスと定規でn等分出来る」ならびにその逆の証明を平易に述べたのが,M. Rosen, Abel's Theorem on the Lemniscate, American Math. Monthly, 88(6), 1981. 残念ながらfreeで読めるのは最初の1頁のみだが,著者1流の平易な解説が大変読みやすく,また面白い.

2008年3月21日金曜日

Lemniscata geometrice in quinque partes dividitur

1797年3月21日、Gaussはレムニスケートを幾何学的に(コンパスと定規のみで)五等分することができることを発見した。

Lemniscateというのは、二定点からの距離の積が一定である点の軌跡として定義される閉曲線。たとえば、Weisstein, Eric W. "Lemniscate." From MathWorld--A Wolfram Web Resource, など参照されたい。

前年1796年3月30日起床するときに円の幾何的な17等分法を思いついたというのは有名な話。それから約1年で、当時20才の青年Gaussは楕円関数の端緒に到達していたわけだ。しかしGaussはこの仕事を公刊することはついに無く、ガウス 整数論 (数学史叢書)の円周等分の章(7章)の冒頭でほのめかしたのみだった。AbelやJacobiがこの記述に触発され、やく30年後に独自に楕円関数論を展開した。

この辺の話は、先日の記事でも触れた、近世数学史談・数学雑談に述べられている。更に、河田敬義、「ガウスの楕円関数論」、上智大学数学講究録24は、史談のうちガウスの楕円関数論に関するところを、数学的に詳述したもの。一般の書店では手に入らないが、マテマティカ友燐社で手に入る(日本数学会の実施期間中なら会場にお店を出している)。

3/21は勤務先の数学科の卒業謝恩会があり、一言挨拶を求められて上のような史実を紹介した。このようにめでたい日に卒業できる皆さんは幸せです、というようなことを述べたが、どのくらい通じたか不明。


2008年3月19日水曜日

Wieferich素数のこと2

2^(p-1)=1 (mod p^2)となる素数をWieferich素数といい、これは現在まで1093, 3511しか見つかっていないのだった.
この性質を満たす素数が稀なようだということは、多くの人が気がついていたと思われる.
たとえば、N. H. Abelが、1828年刊行のJ. fur die reine und angewandte Mathematik(いわゆるCrelle Journal)の第3巻に

「μは素数、αは1よりも大でμよりも小なる整数とするとき、α^(μ-1)-1がμ^2で割り切れることがあるか?」

という問題を出している.当時のCrelle Journalは、AbelやDirichletらの論文の他に、読者への問題といったコーナーがあった.上記はそのコーナーへのAbelの出題である.原文が、
Crelle誌の当該号の212ページへ進むと見られる(ページ末尾).

このことはもちろん、私が徒然にCrelle Journalをめくっていて見つけたというわけではない.高木貞治の「 近世数学史談・数学雑談」の史談で、Abelを扱ったくだりの15章「パリからベルリンへ」の末尾付近で触れているのをみたのである.上記の引用も高木訳による.

Abel はFermat予想について考えていたことがあることは、たとえばRibenboimのCanadian Math. Bulletin, vol. 20(2), 229-242,1977の論文にも触れられている.Fermat曲線上の整数点のdescentにより矛盾を導こうとしたのだろうとRibenboim は想像している.解が有限個であることは、FaltingsによるMordell予想の解決(1983年)により示された.Fermat予想そのものは1994年にA. Wilesにより解決された(この論文も検索するとヒットする).

最初に挙げた性質を満たす素数をWieferichの名前で呼ぶようになったのは、Fermat予想の第一の場合(pが奇素数のとき、x^p+y^p = z^pかつ積xyzがpで割り切れないような整数は存在しない)がそのような素数に対しては正しいことを、Wieferichが1909年に示して以来だろう.AbelがCrelle誌に問題を出したとき、既にWieferichの結果を持っていたかいなかったかと詮索するのは、いい暇つぶしかもしれない.

2008年3月6日木曜日

Wieferich素数のこと

I. Valdi, Mathematica 計算の愉しみを見ていて,Wieferich素数を思い出した.この本は面白い本だが(かなり誤植が多いが)残念ながら絶版の模様.Mathematica版のハッカーのたのしみ―本物のプログラマはいかにして問題を解くかみたいな感じである.

素数pがWieferich素数とは,2^(p-1)はp^2で割り切れるとき(2016/03/29訂正:$(2^{p-1}-1$が$p^2$で割り切れること)を言う(^は冪乗の記号.2^2=4, 2^3=8, ...).Fermatの小定理によって,2^(p-1)は(同:$2^{p-1}-1$は)常にpで割り切れる.これは非常に稀な素数のように思われ,現在までにp=1093, 3511以外には見つかっていない.

Crandall, Dilcher and Pomerance, A search for Wieferich and Wilson primes, Math. Comp. 66, 1997によると,4×10^12までで上の2つしか見つかっていない(全文がPDFで読める).またJ. Knauer and J. Richstein, The continuing search for Wieferich primes, Math. Comp. 74, 2005だと,やはり1.25×10^15まで探しても上の2つしか見つからないらしい.Knauer and Richsteinの論文では,インターネットを用いた分散計算を導入して記録を伸ばしている.

2^(p-1) = 1 + ap (mod p^2)と書いたとときにaが0からp-1でランダムだと仮定すると,pがWieferich素数,つまりa = 0となる確率が計算できる.x以上y以下ののWieferich素数の個数はΣ1/p ~ log(log(y)/log(x))であり,10^15まで行っても見つからないのは無理もないのかもしれない(これもCrandallらの論文にある).

探索は,基本的にはbrute force(力ずく)で,素数を生成し,上の合同式をチェックする.常にp^2で割った剰余のみ計算すればよいし,その他いろいろなテクニックを使う(上記Crandall, Dilcher, Pomerance参照).

この項続く,かも;-)