2008年3月19日水曜日

Wieferich素数のこと2

2^(p-1)=1 (mod p^2)となる素数をWieferich素数といい、これは現在まで1093, 3511しか見つかっていないのだった.
この性質を満たす素数が稀なようだということは、多くの人が気がついていたと思われる.
たとえば、N. H. Abelが、1828年刊行のJ. fur die reine und angewandte Mathematik(いわゆるCrelle Journal)の第3巻に

「μは素数、αは1よりも大でμよりも小なる整数とするとき、α^(μ-1)-1がμ^2で割り切れることがあるか?」

という問題を出している.当時のCrelle Journalは、AbelやDirichletらの論文の他に、読者への問題といったコーナーがあった.上記はそのコーナーへのAbelの出題である.原文が、
Crelle誌の当該号の212ページへ進むと見られる(ページ末尾).

このことはもちろん、私が徒然にCrelle Journalをめくっていて見つけたというわけではない.高木貞治の「 近世数学史談・数学雑談」の史談で、Abelを扱ったくだりの15章「パリからベルリンへ」の末尾付近で触れているのをみたのである.上記の引用も高木訳による.

Abel はFermat予想について考えていたことがあることは、たとえばRibenboimのCanadian Math. Bulletin, vol. 20(2), 229-242,1977の論文にも触れられている.Fermat曲線上の整数点のdescentにより矛盾を導こうとしたのだろうとRibenboim は想像している.解が有限個であることは、FaltingsによるMordell予想の解決(1983年)により示された.Fermat予想そのものは1994年にA. Wilesにより解決された(この論文も検索するとヒットする).

最初に挙げた性質を満たす素数をWieferichの名前で呼ぶようになったのは、Fermat予想の第一の場合(pが奇素数のとき、x^p+y^p = z^pかつ積xyzがpで割り切れないような整数は存在しない)がそのような素数に対しては正しいことを、Wieferichが1909年に示して以来だろう.AbelがCrelle誌に問題を出したとき、既にWieferichの結果を持っていたかいなかったかと詮索するのは、いい暇つぶしかもしれない.

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