twitterで,√xについての一連のつぶやきに参加することが出来ました.なかなか得難い経験で,また内容的にも興味深く感じたので,まとめの頁を
togetterで作りました.簡単のため,以下にも埋め込んでおきます.
もともとの
新井先生のつぶやきが,「まじで泣きそうになった」という表現で,多くの耳目を集めたものと思われます.少しやりとりの後,
(以下新井先生のつぶやき)みなさんは問題の所在を「教える内容」だと思っていますがそれは違います。彼らは、(1)4=x^2をみたすxを求めなさい、という問題には、正しく2,-2と回答する。(2)√4はいくつですか?と聞くと、2と正しく答える。(3)が、√xの定義はなんですか?と聞くと、二乗するとxになる数と答える論理的な破たんにあるのであって、「本来√はどのように教科書で定義すべきか」というような技術論ではありません。
と,核心となる点が明示されたように思います.詳細は,
新井先生のblog記事にもあります.
また,話の流れを受けて,「
数学ガール」シリーズの他多数の数学・プログラミング言語についての著作のある,
結城浩さんが,「
√xの定義についての対話」という文章を公開されました.数学の理解における産婆術というべきもので,同氏の面目躍如たるものがあると思いました.
数学の勉強をしていると,それまで自分が知っていたこと,経験してきたことと,新たに学んだことの間に不整合があるように感じる瞬間があるものです.これは,理解が不十分であることが露呈した瞬間で,そこで「考える」ことで,新しい知識を獲得するのみならず,既に知っていたと思っていたことへの理解が深まるものです.
そういった,自分の知識の内部にある不整合を意識して,考えることでそれを正していくというのは,高度に非自明なことのように思います.自然にそれが出来る人はごく少数でしょう.なので,中高での数学学習の際に,強調されるべきだという主張には,私は大いに賛成します.
それに適切な題材を見つけ,また教師側にも上のようなことを念頭に置いた上で指導を行う,というのが次にすべきことと思います.
少し別の論点ですが,定義を述べよ,というたぐいの質問に答えるのは,別の種類のスキルが必要だと思います.前後の文脈を補い,必要に応じて記号を導入して,正しく述べることです.
例えば「√xの定義を述べよ」と言われたときに,「xを実数とする」などのように文脈を補うこと,そして,xが正,0, 負の場合を尽くして,正しく解答する.
これは,数学科の4年次のセミナなどでも口を酸っぱくして指導することの一つです.
最近はメディアでも取り上げられることの多いtwitterですが,今回の一連のつぶやきは,それが実際どのようなものであるのかの,わかりやすい例になっていると思います.